広島県

【広島旅行】意外に知られていない「原子爆弾爆心地」は原爆ドームから徒歩2分の場所にある

どうも、生まれも育ちも広島県人のスコプラ(@sukoplus)です。

 

早速ですが、皆さんにとって私の住む「広島」の観光地と言えばどこですか?

宮島?原爆ドーム??

 

すばらしい!正解です!!おめでとうございます!!

生まれも育ちも広島の私にとってもこの2か所については広島に来たら是非行ってもらいたいスポットです!

 

もう少し踏み込んでみましょうか。

広島は原爆ドームが象徴するように、世界で初めて原子爆弾が使われた町「HIROSHIMA」として世界でも有名なのは言わずもがなです。

では、その原子爆弾が落とされた「爆心地」、まさに原子爆弾が落ちたところ、原子爆弾が炸裂したところをみなさんご存知ですか?

広島県で生まれ育った人はほぼ100%に近い人が

1945年8月6日 午前8時15分

に原子爆弾が落とされたことを知っています。

 

広島では誰もが知っている常識です。でもその詳細な場所までは知らないという人は多いんです。

 

今回は爆心地にある碑ついて紹介したいと思います。

世界中から訪れる観光客で溢れる原爆ドームから徒歩でたったの2分にあるその場所では観光客の姿はほとんど見ることが出来ません。

原子爆弾爆心地

実際のその場所に行くとその理由を感じることが出来ます。

ご覧の通りそこには小さな碑があるだけです。観光客の姿もありません。

観光客を呼び込むような装飾などもありません。静かに悲劇があった場所を伝えています。

1945年8月6日午前8時15分、まさにこの碑の上空600mで原子爆弾が炸裂したのです。

爆心地

テニアン島から飛来した米軍機B-29「エノラ・ゲイ号」によって人類史上最初に使用された原子爆弾は、この上空約600メートルでさく裂しました。

爆心直下となったこの一帯は、約3,000度~4,000度の熱線と爆風や放射線を受け、ほとんどの人びとが瞬時にその生命を奪われました。

時に1945(昭和20)年8月6日 午前8時15分のことでした。

碑にはこのような文章と、当時のこの場所から撮影した写真が掲載されています。

現在この場所は一本道を入れば広島市内でもっとも人が集まる中心街の一角です。

歩行者や交通量も多いこの場所ですがあまり目立たないので多くの人が知らぬ間に通り過ぎてしまうような場所です。

一発の原子爆弾で丸ごと消し飛んだ街が、今後草木一本生えてこないと言われた街が今では広島一の中心街になっているなんて、何とも言えない気持ちになります。

被爆地蔵尊

原爆ドームの周囲にはこのような碑や原爆による惨状を今に伝える物が多く残っています。

被爆地蔵尊もその一つです。

原爆ドームと爆心地の碑の中間地点に今も残るこの地蔵は原爆の破壊力を今も残しています。

この像は、原爆の熱線がほぼ真上から来たために、側面と地蔵尊の陰となった部分は滑らかなままですが、ほかの部分は表面が熱線によってザラザラになっています。

触ってみればその違いと原子爆弾の恐ろしさを感じることが出来ます。

爆心地の碑にもありましたが3,000度~4,000度の熱線がこの像と町の人びとを襲ったのです。

ここも原爆ドームからすぐのところにありますが観光客の姿はほぼありません。

場所

≪原子爆弾爆心地≫
住所:広島県広島市中区大手町1丁目5-5-25

≪被爆地蔵尊≫
住所:広島県広島市中区大手町1丁目3-10

≪原爆ドーム≫
住所:広島県広島市中区大手町1丁目1-10

広島に来たら立ち寄って

多くの人が広島に訪れた際には立ち寄る原爆ドーム。

その圧倒的な存在感ゆえに周囲に多く残る碑や証跡についてはあまり注目されません。

広島に来た際には是非付近を歩いてみてほしいと思います。

「爆心地の碑」や「被爆地蔵尊」、その他にも多くの資料が至る所に残っています。

 

ちなみに今回「爆心地」に立ち寄ったのはたまたまだったんですが、季節は違えど偶然にも午前8時15分でした。

ここでこの時間に原子爆弾が炸裂したのかと思うと自然に空を見上げていました。

おしまい。

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