私は日本中、いや、世界が注目するサウスポーの剛腕ピッチャーだった。
MAX158km/hの剛球が針の穴を通すようなコントロールでキャッチャーのミットに吸い込まれ、惚れ惚れするような音を奏でる。
甲子園では打たれたヒットは4本だけ、5試合で3度の完全試合を経て決勝まで駆け上がった。
そんな前代未聞の快挙は、ハンカチ王子こと斎藤佑樹、平成の怪物こと松坂大輔の当時のフィーバーを遥かに凌駕する熱狂が日本中を飲み込んだ。
準決勝の完全試合後のインタビューの「次は決勝戦ですがどんな意気込みですか?」の質問に私はこう答えたのだ。
「全力で投げるだけです。」
その時の真意は誰にも伝わっていないが確かに私は言った「全力で」と。
そして決勝戦当日、日本中が注目する中、伝説を見ようと駆けつけた超満員のスタンドの大声援に迎えられマウンドに現れた私を見て日本中がざわついた。
あの剛腕サウスポーが右投げで投球練習をしていたのだから驚くのも仕方がない。
そして投球練習ながら左で投げるのと遜色ないボールを投げている状況に解説者席もパニックになっていた。
そう、私は右利きだったのだ。
私が言った「全力で」とは、利き手である右手で投げるという意味だったのである。
振り返ると、私が右利きであることを知っている仲間達の顔は一様に、甲子園のザワつきが面白くて仕方がないといった表情だ。
日本中がざわつく中、試合開始のサイレンが鳴った。
注目を浴びる中、投じた第1球。
ボールはまっすぐミットに吸い込まれ、乾いた大きな音が弾けた。
そして甲子園、いや、日本中が静まり返った。
188km/h
ストライクコールがない。
静寂の中、我に返った審判の「ットライーッ!!」のコールが響いた。
それに反応し日本中が沸いた。
187km/h
190km/h
初めて目にする球速を打てるはずもなく、最初の打者を仕留めた。
キャッチャーはミットを構えて手の痛みだけ我慢していればいい。
私の投げたボールは構えたところに寸分の狂いもなくやってくるので目を閉じていても取れる。
相手チームは戦意を喪失、4試合目の完全試合で甲子園優勝を飾り、決勝戦の球速はMAX196km/hを記録した。
そして優勝後の当然プロ入りするであろう前提でのインタビューに対する私のコメントは更に日本を驚かせた。
「プロ入りは考えていません」
その後、日本中が私のプロ入りに関して騒いだ。
テレビでは毎日その話題でもちきりだ。
騒ぎがピークになった頃、NPB(日本野球機構)が異例の会見を開いたのだ。
内容を要約すれば、
私のプロ入りを拒否する
要は、私が登板すれば試合が成り立たないのでビジネスにならないらしい。
プロ入りはしないと言ったにも関わらず一方的に私を拒絶する旨の発言にカチンときた私は、プロ入り否定を一転しメジャー入りをすることになる・・・のだが・・・
この辺でいつも寝落ちしてしまってまだメジャー行ってないんですよねぇ
あ、寝る前の布団の中でする妄想です。
僕高校は帰宅部だったし